月島・佃島(東京)

〈2007年12月30日〉

2007年の年末年始休暇は,12月28日~1月3日までの7連休でした。年末の12月30日は朝から天気が良く,天気予報も一日晴れとのことでしたので,都内の散歩ということで,月島と佃島へカメラを持って1人で行ってみました。隅田川沿いをブラブラ歩き,昭和時代の名残を残している古い街並みを撮影しようと,楽しみにして行きました。

◆月 島◆

まず見たのは,月島の有名な勝鬨橋(かちどきばし)です。
昔は隅田川を大きな船が通るたびに,橋が真ん中より両側に開いたという,あの橋です。もちろん今ではそういうことはなく固定されていますが,一度近くで見てみたかったので橋のたもとまで行ってみました。近くで見ると,なかなか迫力ある大きな橋です。しばらくここで写真を撮った後,月島の中に入っていきました。

勝鬨橋

勝鬨橋を渡り晴海通りを歩いて最初の信号を左に曲がると,そこは月島西仲通りです。その通りに入るとすぐに小さな橋を渡ります。そこからはすぐ近くに水門が見え,河岸には屋形船が3隻ほど停泊していました

停泊していた屋形船

橋を渡り少し歩くと,月島西仲通り商店街の入口があります。ここは通称もんじゃストリートと呼ばれ,もんじゃ焼きの店が多く集まっているポイントです。まだお昼には早かったので先にあちこち見て,帰りにここでもんじゃを食べようと思い,素通りしました
(これを後ほど後悔するのですが・・・)

もんじゃストリートの入口

さてここで左に折れ,隅田川方面に歩きます。すぐに突き当たると,そこには「わたし児童公園」という小さな公園があります。実はここにはひっそりと,ある記念碑が建っているのでわざわざ立ち寄ってみました。それは「月島の渡し跡」です。月島の渡しは月島の埋め立てが完成して間もない明治25年に開設され,以降昭和15年に勝鬨橋が完成しお客が減少するまで,多くの人達をここから渡したという由緒ある場所です。

月島の渡し跡

この公園より隅田川沿いの遊歩道を歩いてみました。ふりかえると勝鬨橋の全景を見ることが出来ます。改めて隅田川の幅の広さと勝鬨橋の大きさが分かります。上流の方を見ると,対岸に聖路加タワー,向こうには佃島のリバーシティ21が見えます。

勝鬨橋の全景

隅田川上流

そのまま河岸を上流に向かってぶらぶらと歩きます。今日は非常にいい天気ですが,ここにきて急に空に雲が広がってきたのが,ちょっと気になります。でも基本的に晴天なので,まさか雨は振るまいと思って歩いていたのですが・・・。

気持ちの良い隅田川河岸の散歩道

さて天候のことはあまり気にせず少し歩くと,佃大橋のたもとまできました。
そこでちょうど水上バスが上流より来たので,橋を出た所で写真撮影です。結構人が乗っていて,気持ち良さそうでした。ここでは佃大橋の下をくぐり,ここから佃島に入ることになります。

佃大橋と水上バス

◆佃 島◆

佃大橋を超えると,そこは佃島になります。佃煮で有名な佃島,楽しみにしながら進んでゆきますが,このあたりから空は暗雲が立ち込めて冷たい風が急に強く吹き出しました。さっきまでの好天がウソのようで雨が降りそうです。イヤ~な予感をいだきながら歩いていきました。

佃煮屋さん

河岸より佃島に入ると,いきなり佃煮の店の大きな看板が目に入ります。しかし残念ながらその店は本日はお休みのようです。その向かいの小さな広場を見たら,ここにも「佃島渡船」の碑がありました。きっとここにも渡し舟が昔はあったのでしょう。

佃島渡船の碑

その佃煮屋さんの前には,劇作家 北條秀司(ほうじょうひでじ)の碑もあります。北條秀司とは現在ではなじみがありません(私も知りませんでした)が,昭和初期の演劇が盛んな頃には,日本を代表する劇作家であったとのことです。北條は佃島が好きで,同じく演劇役者(女形)で有名な花柳章太郎といつも2人で佃島付近を歩いていて,それをきっかけに「佃の渡し」という芝居を作り,大成功したとのことです。この碑には「雪降れば 佃は古き 江戸の島」と書いてあります。

北條秀司(ほうじょうひでじ)の碑

さてその佃煮屋さんの脇をすり抜けて行くと,すぐに小さな橋があります。これは住吉小橋です。この途中には鳥居があり,その右下正面に住吉神社が見えます。住吉小橋の正面には何やら灯台風の小さな建物が見えます。

住吉小橋

橋の上から,川のほうには大きな水門が,内陸側には運河に沿ってびっしり立ち並んだ家が見えます。このあたりはいかにも昔からの埋立地,という雰囲気です。橋を渡ったあたりで更に風が強く吹いてきました。水門の写真を見て下さい。手前にある柳が強風に吹かれ,折れそうなくらい傾いていました。それでもせっかくここまで来たので,我慢して付近を見て歩きます。

運河に立ち並ぶ家

強風で折れそうな柳

先ほど,灯台のような,と思ったのは,確かに昔からの灯台でした。こんな所に灯台があるとは意外です。中には入れませんが,灯台の下が公衆トイレになっていたのが笑えました。このあたりはちょっとした広場になっており,鳩が集まっています。また,佃大橋を臨むことも出来ます。ここでベンチと灰皿がありましたので,ちょっと座って一服です。

下が公衆トイレになっている灯台

一休みしたあと,付近を見てみます。隅田川に降りる階段を歩くと,すぐ右に「隅田川・セーヌ川友好河川記念植樹の碑が建っていました。隅田川とセーヌ川が友好河川であることなんて,ここで初めて知りました。その脇には少女の銅像が建っていますが,これは意味不明です(笑)。

「隅田川・セーヌ川友好河川記念植樹」の碑

今度は住吉小橋に戻り,反対側の内陸部へ歩くと,ちょっとした日本庭園があります。住宅地の中の感じのいい公園でしたが,このあたりですっかり天候はおかしくなっているので,人のいる気配はまったくありません。早々に戻ることにします。

日本庭園


さて今度は住吉神社へ行ってみます。
住吉神社はあまり大きな神社ではなく,こじんまりとしていました。境内の中をぶらぶら歩いたあと,本堂で今年も一家全員幸せになれますように,と拝みます。

住吉神社の鳥居

中に住吉神社の説明書きがあり読んで見ましたら,「江戸初期に摂津国西成郡(大阪市)の佃村の漁民が江戸に移住した後,正保3年(1646年)に現在地に創設された佃島の鎮守です」とあります。と言うことは,佃島の先祖は大阪から移住してきたということになります! これは初めて知りました。こういうことは,現地に来てみないと分からないことです。

更に,「正面鳥居の上にある扁額は,珍しい陶製で,白地に呉須で額字や雲文を染付けています。明治15年(1882)6月に制作され,額字の筆者は有栖川宮たかひと(字が難しくて漢字変換出来ません)親王です。」とあります。
え?と思い,また鳥居の方に戻って見上げてみたら,確かに陶製のようでした。これは珍しいと思います。

鳥居をくぐって右側には鰹塚というのがあります。なぜか分かりませんが,鰹を祀った碑なのでしょう。
では住吉神社を見るのはこのくらいにして,天候も怪しくなってきたことですし,戻ることにします。

住吉神社を出ると,そこは昭和初期の面影を残した古い街並みになっています。木造の古い住宅も数多くある上,家と家の間の路地も幅1mあるかないかの細さです。こういう街並みを見るのは本当に久しぶりです。

古い街並み

この近くに,日本で最も古い由緒ある佃煮屋さんがあると聞いていたので,探してみました。
それは天安(てんやす)と言って,天保8年(1837)創業の佃煮屋さんで,現在でも営業しています。場所は住吉神社からすぐ近いところにありました。店を見ると木造の意外と小さい店です。

日本で最も古い由緒ある佃煮屋さんの天安

せっかくなので中に入って佃煮を買いました。とても狭い店ですが,中はストーブで暖められていてとても快適。佃煮は単品でも色々な種類を売っていましたが,初めてなので2000円で6種類入ったセットを買いました。これは帰宅後に食べてみましたが,とてもおいしい! あっと言う間に全部食べてしまいましたので,今度また買いに行きたいと思います。

正面より見た天安


さてさて,そろそろ帰ることにします。帰りにはもんじゃストリートでもんじゃ焼きを食べようと楽しみにしながら歩いていきましたが,佃大橋をくぐった頃に,雨がパラパラと!! しかも次第に激しくなってくる気配です。傘は持っていませんので,あわてて車を止めてある駐車場まで1kmほども走るハメになってしまいました。もんじゃ焼きをだべるどころではなく,それは次回のお楽しみとなってしまいました。あ~,最初に食べておけば良かった,と後悔しきりです。
天気予報は1日晴れのはずだったのに,全く残念。今度また天気のいい時に来てみたいと思います。

(2007年12月30日)