デジパチとの出会い

羽根物と出会ってからというものはその衝撃的な出球にしびれ、しょっちゅう羽根物ばかりを打つようになっていた。羽根物と出合った昭和56年(1981年)からは、しばらくの間、羽根物一辺倒であったのだ。とにかく休日になると羽根物ばかり打っていた。
その頃、既にデジパチ(いわゆるスリーセブン)が登場していたが、そんなのはバチンコではない、邪道だ! と考え、私は頑固に羽根物だけを打っていたのである。しかしそういう私にもついにデジパチに転向する機会が訪れたのである。

あれは忘れもしない平成2年(1990年)の大晦日である。私は正月休みで実家の仙台に帰省していた。私だけでなく、福島県の郡山に住んでいる弟家族も一緒に帰省していたので、その午後、やはりパチンコ好きな弟と一緒に仙台でパチンコに行ったのである。
私は当初、いつものように羽根物を打っていたがなかなか出なくて苦戦していた。弟は既にデジパチを打っていた。

そこで苦戦している私を見かねたのか、弟が「おい、兄さん、羽根物なんかじゃなくてデジパチを打ってみたらどうか」と提案してきたのである。そこで私は羽根物があまりに出ないので、まあデジパチというものを経験するのもたまにはいいか、という軽~い気持ちで打ってみたのである。しかし何と言っても初めてのデジパチ、打ち方を弟に教わって玉を買ってまずは打ち出してみた。

打った台は忘れもしない SANKYOの「フィーバーフラッシュⅠ」である。
これはまだCR機がない時代のこと、現金機のいわゆる連チャンマシンであるが、その時はそんなことも知る由はない。何気なくたまたま空いていた台に座って打ち出してみる。

 

 

打ってみた時の違和感は今でも覚えている。羽根物みたいに懸賞口やチューリップがほとんどなく、打った球はデジタルの始動チャッカーに入らない限りは出球がほとんどないので、みるみる玉が減って行くのである。用意していた500円玉がどんどんなくなっていくのだ。しかし目の前でグルグル回るドラムの動きがとても新鮮で、わくわくしながら打っていた。

その台はドラム式で、回った後、左→右→中 の順に停止する構造である。ドラムの絵柄は「赤7」「青7」「金コイン」「黒シングルBAR」「黒ダブルBAR」「金トリプルBAR」であり、赤7がらみではダブルリーチも発生する。その回転時の独特のサウンドが打ち手の気持ちをそそるのがとても良い台であった。

と、その時、突然、音が変わる。見たら左右の絵柄が揃っており、真ん中のドラムがいつもと違うサウンドで回っているのだ。「これは何だろう?」と思って隣の弟に聞いたら、「これがリーチで、真ん中の絵柄が左右と同じ絵柄で止まったら大当たりだよ」と言うではないか。
「よし、こい!」とつい力んで祈ってしまったがそうは簡単に当たるものではない。スカッ、とはずれてまた次の回転に移る。そんなことを少しの間、続けていた。

しかし、ビギナーズ・ラックというのは恐ろしい。
打ち出してほどなくリーチから「ポンッ!」と真ん中に絵柄が揃ってしまったのだ!
「おおっ! 揃ったぞ!」と思わず叫ぶ。隣の弟が「やったね!と言ってくれる。
その後がすごい。
何と真ん中下にあるチャッカーが開いて、打った球がボロボロとそこに入っていくのだ! しかも当時あった「おまけチャッカー」という左右の懸賞口にも玉がボロボロと入っていく。もちろん下からはチンジャラと玉があふれんばかりに出てくるのである。

「これはすごい、すご過ぎる!!」

もう感動しまくりである。羽根物ならば1時間も2時間もかけて一杯にするドル箱が、大当たり1回で一杯になってしまうのだ。
しかも、しかもである!
感動の大当たり終了後、保留玉4個を消化しているうちに、そこでまたリーチがかかり、また連続して当たってしまうのだ!

「何だ、これは?!」 と驚いていたら、隣の弟が
「これが連チャンで、大当たりが連続で来ることなんだよ」
と言うではないか。

2連チャンすればドル箱2箱。
羽根物であれば半日粘ってようやく打ち止めにする玉数が、デジパチでは一瞬のうちに出てしまうのだ。
この時の感動と衝撃をどう表現すればいいのであろうか。

結局その日はまたたく間にドル箱を5箱ほど積み上げ、3万円の大勝利を収めたのである。

「いやいや、デジパチというのはなかなか面白いじゃないか」

こうして私はその日から現在に至るまで、デジパチにズッポシとハマってしまったのであった。

(2006年1月29日)