デジパチにハマる

さて平成2年(1990年)よりデジパチに目覚めた私は、以来すっかりデジパチのとりこになってしまった。
何と言ってもリーチの時のドキドキする興奮、大当り一発で羽根物打ち止め相当の玉をゲット出来ることなど、とにかく面白い。
世の中、こんなに面白いものがあったのか! と言うのが正直な感想であった。

当時は平成3年(1991年)、まだCR機というのはなく現金機中心で、デジパチと言ったら保留玉連チャンマシンだらけであった。
保留玉連チャンマシンとは、大当たりが終わったあとの保留玉4個を消化しているうちに、その中でまた大当たりを引き出すというもの。当然、公式には違法であるが、そこはうまくやっていたのであろう。当時の常識であった。うまくいったら3連、4連はしてしまうので、あの頃の換金率2.5円/玉でも大当り1回当たり6000円は取れたので、4連チャン一発で何と24,000円も取ることが出来たのだ。大当り確率は平均240分の1前後である。現在(2006年時点)のCR機の平均370~400分の1に比べると格段に当たりやすい台であったのだ。


あの頃で最も有名かつ人気があったのは、平和の麻雀物語であろうか。
これはパチンコで最初に液晶画面を採用した画期的な台であり、尚且つ保留玉の連チャン率も異常に高く20~25%はあったと思う。
だから大当り後に保留玉でリーチがかかると、もうドッキドキものであり、そのパチンカーの期待を裏切ることがなく、大抵はちゃんと連チャンしてくれた。

また、大当り中の液晶画面には、アニメながらもセミヌードの女性の絵が出てきたりして、ちょっとイヤラシイのが良かった(笑)。今みたいに水着の女性の本当の写真が出る台に比べたら余程「お子様向け」仕様であるが、これまた当時としては実に画期的な台であった。今から思っても、パチンコ史に残る名機であったと思う。

しかし私は麻雀物語はたまには打つがそれほどは打たなかった。と言うのは連チャンのツボにハマるとものすごく出るが、当然のことであるがハイリターンにはハイリスクが付き物。大当りを引き出すまでに、運が悪いと延々とハマり大切なお金をたくさん失うことになってしまうのだ。


そこで当時よく打っていたのは、SANKYOのフィーバーフラッシュⅠと奥村(モナコ)のドリームXであった。これらは麻雀物語の1世代前の機種で、いわゆる「おまけチャッカー」というのが付いていて、大当りの時は入賞ゲートにはじかれた玉が両サイドにあるチャッカーに導かれ、大量の出玉が得られる構造であった。


フィーバーフラッシュⅠドラム式の名機で、ドラム回転時の重々しいサウンド、リーチ時の軽快かつ興奮するサウンド、いざツボにハマった時の連チャン爆発力、いずれを取っても楽しめる素晴らしい台であった。私が初めて打ったデジパチでもある。

ドラム絵柄は赤7、青7、BAR、ダブルBAR、トリプルBAR、コインであり、赤7はダブルリーチのパターンもあった。この台は本当に好きで無制限の店で休日などは朝から晩までよく打っていたと記憶している。大負けもしたが大勝ちも出来た台であり、私のパチンコ史の中でもベスト3に入る台である。

 

 

 


もう1つのドリームXは、当時としても珍しい「連チャンしない台」であった。
しかしリーチの瞬間に大当りが判別出来るという独特のプログラム、そこそこ良く当たってくれる優良台、独特のエキサイティングなサウンドなど、これまた素晴らしい台であった。ドット式のデジタルが停止するパターンは決まっており、まず左出目が停止した後、その時に現れた真ん中出目に見えた絵柄より5コマ進んで真ん中出目が止まる。例えば左に「7」が止まり、真ん中出目が「2」からスローで進んだら、必ず真ん中には「7」が止まりリーチがかかるという寸法。

問題はその次である!
リーチがかかったら今度は右出目が高速回転して停止するのだが、それがリーチの瞬間の出目より必ず10コマ進んで止まるのだつまり出目の並びを覚えておけば、リーチがかかった瞬間に大当りしたかハズレたかの判別が出来るという台なので、リーチの瞬間の興奮は他にないものであった。

もう1つ、この台にはプログラムのバグがあって、同じ出目が2回連続して出ることがある。例えば「135」で止まったらその次の回転でも「135」で止まることがあるのだ。経験的にこれは20~30回転に1回あったと思う。
すると何が起こるか。
例えば「777」の大当り終了後、保留玉1回転目に「7」のリーチがかかると、また「777」で当たってしまうことがあるのだ。
これまた興奮出来る。そういうのは2日に1回位しか出ないが、ヘタな連チャンマシンよりも大当り後の1回転目が激アツであった


とにかくこのようにして、当時は毎週かかさず、フィーバーフラッシュⅠとドリームXを一日中打ちまくっていた。何とも懐かしい思い出であり、もし今でもこれらの台を打つことが出来るなら、お金を払ってでもまた打ってみたいと思っている。

(2006年5月25日)