〈2008年5月4日~5日〉
2008年のGW(ゴールデンウイーク)は福島県の裏磐梯・会津若松へ行ってみました。いずれも20年ぶりの訪問です。本当は家族で行きたかったのですが子供たちが部活などで休みが取れないため,母親と,福島県郡山に住んでいる弟との3人での一泊二日の小旅行でした。
千葉からのルートは,常磐道より磐越道を経由して郡山に入るというルートで,東北道と異なり車も少なく快適なドライブです。天気もまあまあ良く,磐越道のパーキングエリアでは桜を見ることも出来ました。郡山市内で弟を拾って,いざ磐梯山方面へ向かいます。
磐越道のパーキングで見た桜
◆磐梯山◆
郡山から東北道経由磐越道に乗って,裏磐梯へ向かいます。目的地は五色沼です。磐越道の途中では左に猪苗代湖が見え,ほどなく右側には雪をかぶった磐梯山(標高1819m)が見えてきます。このあたりで高速を降り,一路磐梯山方面へ向かいます。
一般道ではちょっと道を間違えてしまいましたが,怪我の功名でしょうか,そこから眺める磐梯山はとても雄大で,何枚も写真を撮りました。その後,裏磐梯ゴールドラインという有料道路を通り裏磐梯へ向かいます。
磐梯山
ゴールドラインに入ると,ほどなく山湖台という展望台があり,そこから眼下に猪苗代湖を見下ろすことが出来ます。反対側には磐梯山も見えます。猪苗代湖は琵琶湖,霞ヶ浦,サロマ湖に次いで日本で4番目に大きい湖で,標高も514mと有数の高い場所にある湖です。
猪苗代湖
更に進むと,スキー場を多く見ることができます。流石に今の時期は雪がありませんが。その先には幻の滝というのがありました。これは道路より奥に少し歩くのですが,現地の人も最近見つけたという奥地の滝だそうです。
でも結構歩くので今回は行かず,近くの小さな滝を見るにとどめました。時間がある方は歩いてみるのが良いでしょう。
幻の滝の看板
グネグネした道をしばらく登ってゆくと,頂上の八万台に着きます。ここで驚いたのは,木々の間にまだ雪が残っていました!
中まで入れますので歩いて行って雪に触れてみました。流石は裏磐梯です。
雪が残る八万台
さてそこからは下り坂で,ほどなく下界におります。この辺りは既に裏磐梯で,五色沼もすぐ近くです。
しかし,,,いざ五色沼に向かおうとしたら,ものすごい渋滞です!
待てど暮らせど車は動かない・・・。わずか2kmほどを走るのに,何と2時間もかかってしまいました!
何とか五色沼入口(ビジターセンター付近)に到着です。既にグッタリと疲れきっていましたが,いざ車を止めて歩いてゆきます。
◆五色沼◆
五色沼とは,磐梯山北側にある,大小数十の湖沼群です。この一帯には1888年7月の磐梯山の噴火により多くの湖がせき止められて出来ました。大きいのは桧原湖,秋元湖,小野川湖とありますが,いわゆる五色沼とは毘沙門沼をはじめとした色鮮やかな沼のことです。見ると本当に青や緑など色とりどりの鮮やかな沼が並んでいます。
ここには延長3.6kmの五色沼自然探勝路がありますので,のんびり散策を楽しむことが出来ます。
五色沼自然探勝路マップ
まず最初に眼下に広がるのは毘沙門沼です。コバルトブルーの実に綺麗な沼で多くのボートが浮かんでいます。向こうには雄大な磐梯山が見えます。五色沼自然探勝路は4km近くあるので歩くと1時間以上かかってしまいますので,時間がない方は全部歩くのは難しいかもしれません。しかしこの毘沙門沼は五色沼を代表する美しい大きな沼なので,一見の価値はあり,少なくともここだけは見ることをお勧めします。
毘沙門沼
さてここを起点に五色沼自然探勝路を歩いてみます。歩き出すとこの毘沙門沼は実に大きい沼であることが分かります。かなり奥まで広がっています。近くで水辺に下りてみると,その水の透明なことに驚きます。奥の方には桜も咲いており,また,こんな奥までもボートが来ていました。
透明な毘沙門沼の水
しばらく歩いてようやく毘沙門沼の最奥にたどり着くと,ちょっとした湿地帯になっています。そこには大きなワラビかゼンマイかと思われるものが多くありました。良く見ると本当に大きい。高さが20cmほどもあります。こんなに大きいワラビ(ゼンマイ?)を見るのは初めてです。
更に進むと,次は赤沼が現れます。赤沼といいながら緑色の沼です。その先はみどろ沼,竜沼と続きます。このあたりは普通の沼でさほど大きくはありません。 みどろ沼と竜沼の間は湿地帯になっており,細い渓流も流れています。とても冷たい透明の水です。
赤沼
その先に行くとちょっとした休息エリアがあります。一面の湿地帯で小さな滝や渓流が流れており,ベンチで座って休むととても癒されます。今日は結構暑く歩いていると汗をかきましたが,ここで休んで一息つくことが出来ました。
渓流の流れる休息エリア
だいたいこのあたりで五色沼自然探勝路は半分以上進んだことになりますが,これ以上行くと帰りが大変そうなので,ここで引き返しました。久しぶりに自然の中をゆっくり歩いた感じでした。
もうすっかり夕方なので今夜の宿へ向かいます。宿泊は小野川湖の近くのペンション村にあるペンション小野川湖です。着いてみたらいかにもロッジ風の感じのいいペンションでした。部屋は3階に3ベッドをいれてもらいました。夕食をとった後は,疲れていたのでまだ9時前でしたが寝てしまいました。
ペンション小野川湖
◆小野川湖◆
翌朝は早くに目が覚めました。たくさん寝たので目覚めスッキリです。朝食は8時からなので,その前に小野川湖畔を1周してみようと思い立ち出かけました。今日は朝から残念ながら曇模様です。
この小野川湖は五色沼の北部に位置しかなり大きな湖で,一周すると恐らく20kmほどもありそうです。朝のさわやかな空気の中,車を走らせま,左回り(時計と反対周り)に走ります。少し走った所で湖の展望所で一休み。前方には桜が咲いているのが見えます。この時期に桜が見れるのは福島ならばこそです。周囲の新緑も綺麗です。
小野川湖
しばらく走り湖の反対側に入ると,すぐに大きな橋がありました。
ここらは前方には霧に霞む磐梯山の雄大な姿を臨むことが出来ます。橋の上には同じようなカメラマンがおり,三脚を構えて周囲の写真を撮影していました。見ると橋の右側の山は,新緑と桜がとても綺麗でした。
霧に霞む磐梯山
その少し先には裏磐梯野鳥の森があります。朝ゆえ野鳥を見ることは出来ませんでしたが,実はここには水芭蕉の群れがあるのです!
道路を渡ると湖の向こうに,やはり霧に霞む磐梯山が見えます。湖のほとりにはライダーのテントがありました。まだ夜は肌寒いのにご苦労様です,と言いたくなりました。若さゆえの冒険でしょうね。
裏磐梯野鳥の森入口
そのテントの反対側に水芭蕉の群生地がありました。さほど多くありませんが,ペンションのオーナーさんに聞いた通りで,歩いてみるとたくさんありました!
水芭蕉を見るのは久しぶりです。尾瀬でも行かないと見れないと思う方も多いかもしれませんが,裏磐梯でも見ることが出来ます。可愛らしく美しい花で何枚も写真を撮ってしまいました。途中久しぶりに望遠レンズを使いアップでの撮影も行ないました。感動してしばらくここにいましたが,もう大満足です。
水芭蕉の群生地(白いのが水芭蕉)
水芭蕉のアップ
ここでペンションに戻り朝食を取り,今度は会津若松に向けて出発です。途中セブンイレブンがありましたが,何だか変です。
あの看板の赤い色が茶色くなっていました。聞いてみたら山の中で赤は見合わないので意識的に茶色くしているとのこと。近くの山崎デイリーストアもそうでしたが,環境に対する親和性を考えたナイスな気配りと思いました。
また,その向かいの消防署も山小屋風で素敵でした。
山小屋風の消防署
◆会津若松・・・鶴ヶ城◆
さていよいよ最終目的地の会津若松へ向かいます。見所は鶴ヶ城と白虎隊のお墓のある飯盛山です。裏磐梯からは山を抜けて磐越道を少し走れば付いてしまうほど近いところです。車を止めて鶴ヶ城に入ります。
入ってすぐ,大きな牡丹の花とその近くに桜を見ることが出来ました。やはり福島,関東より1ヶ月は開花が遅い感じですね。今年はお花見を2回出来たので,何だか得した気分です。
鶴ヶ城の天守閣は城壁から入ってすぐ見ることが出来ます。下から見上げると雄大かつ美しいお城です。鶴ヶ城は1384年に建立された由緒あるお城で,別名は黒川城,会津若松城とも呼ばれています。
1868年(明治元年)の戊辰戦争時には会津藩が鶴ヶ城に1ヶ月も立てこもりましたが,その後明け渡しています。しばらく放置され荒れたようですが,昭和に入り改修され,現在に至ります。お城は中に入り上まで登れます。
鶴ヶ城
斜め横から見た鶴ヶ城
現在のお城の前には広い芝生の敷地があります。これが本丸跡,大広間跡になるようです。
その脇から見上げる鶴ヶ城も美しいものです。
大広間跡
内部をぐるりと見回って城壁の外に出ると,桜が散りだしていました。地面に散った桜の花,とても綺麗です。そのあたりはちょっとした広場になっており,新緑も綺麗でした。人は多く出ており,皆,思い思いに散策し休んでいます。とてものどかな風景です。
地面に散った桜の花
この鶴ヶ城は,私が仙台にいる時に,小学校の修学旅行で来た思い出の場所です。久しぶりにしみじみ見ることが出来ました。
外のお濠も広く,満足感一杯で次へ向かいます。
鶴ヶ城のお濠
◆会津若松・・・飯盛山 (白虎隊の墓)◆
次に向かったのは,白虎隊の墓がある飯盛山です。
白虎隊とは,1868年,明治維新時に勃発した戊辰戦争の時に会津藩で構成された少年兵です。新政府軍と会津藩の戦いで会津藩は劣勢となり,白虎隊の少年兵は飯盛山に逃げ延びました。そこから戦闘中に燃える市街地を眺めて,鶴ヶ城が落ちたと勘違いし,少年兵が絶望の中,自刃してしまったのです。結果は1名だけ偶然助かりましたが他の19名は若くして命を失ったという,悲しい場所です。少年兵は皆,14才前後(今で言えば中学1~2年生)という若さでした。この飯盛山にはその19名の少年兵の墓があります。
(2024年5月26日追記)
後で偶然分かったのですが、奇跡的に生き残った1名の方のお墓が、私の父方の先祖のお墓のすぐ近くにありました!
場所は仙台市の輪王寺です。飯沼貞雄さんと言い、戊辰戦争時は14才、生き残った後は電信技術者となり最後は仙台に住み、昭和6年(1931年)に78才で亡くなったと書かれていました。
白虎隊で唯一生き残った飯沼貞雄さんのお墓と説明書き(仙台:輪王寺)2015年4月11日撮影
飯盛山は会津若松市の東部のはずれにあります。入口は観光地化されており,店の周辺には多くの人がいます。正面には飯盛山に向かう長い階段がありますが,その脇には長いエスカレータ(有料)がありましたので,それに乗って登って行きました。
飯盛山入口
このエスカレータは1号機,2号機とつながっており結構長く,下には会津若松の街を見下ろすことが出来ます。正式名称は「飯盛山動く坂道」となっています。
エスカレータより見下ろした街並み
登りきって少し階段を歩くと,そこは広場になっていました。広場の左正面に悲しい白虎隊の墓があるので,まずそれを見に行って見ます。
飯盛山山頂の広場
白虎隊の墓は小さな墓が19人,並んでいました。見ると氏名と年齢が記載されていますが,皆,14才前後です。こんなに若いのに戦争で自分の国を守ろうとして自刃した,,,実に悲しい出来事です。静かに冥福を祈りました。
白虎隊の墓
そこからまた広場に戻り右方向に進むと,実際に白虎隊が自刃した場所があります。こんな山の中で若い命を落とした少年たちの気持ちはいかほどであったことでしょう。この場所からは下界に会津若松の街を見下ろせますが,街が燃えているのを見て鶴ヶ城が落ちたと勘違いしたのは,悲しいことです。
白虎隊 自刃の地
自刃の地の石碑
しばらくこのあたりを見た後はまた広場に戻り,そこから下山します。
途中にはさざえ堂があります。これは200年以上前の1796年建立の建物ですが,見ると各フロアがグルグルとらせん状になっています。つまり階段がなくフロアがさざえのように渦巻きになっていて廊下を歩いて上まで行けるという変わった建物です。
奥の建物が螺旋状のさざえ堂
その先には白虎隊士引揚の洞窟があります。これは白虎隊が戦いの場より逃れ,飯盛山で自刃する場所に来る前にくぐってきた洞窟だそうです。見ると非常に小さな洞窟で,当時20人の隊士がここをくぐって逃れてきて自刃したかと思うと,本当に可哀相で悲しくなります。
白虎隊士引揚の洞窟
実際にくぐって逃げてきた洞窟
さてそこを過ぎて更に下ると,ほどなく先ほど通った入口に到着します。入口には白虎隊記念館がありますが,今回は中は見ませんでした。
このあとはトンボ帰りで成田まで戻らなければなりません。急いで弟を郡山の自宅まで送り,そのまま帰りました。
一泊二日のあわただしい旅行でしたが,久しぶりに訪れた裏磐梯と会津若松,いい思い出になりました。
(2008年5月31日)