「どたばたゴルフ(シンガ編)」にも記載したが、私にとってのゴルフの師匠はシンガポール時代にご指導をいただいたSプロである。Sプロは日本人であり、単身シンガポールへ渡りそこでプロ資格を取得し、レッスンも行なっていた方である。
私は2001年よりシンガポールに3年9か月駐在しており、2002年より43才にしてゴルフを始めたがなかなか上達せず、2003年よりSプロに師事したところ、急激に上達した経緯がある。
※参考記事:「Sプロ レッスン 〈お勧め〉」
私は2005年に先に帰国したが、その後Sプロも帰国され、しばらくは新横浜におられた。私の家の成田からは横浜まで1時間ちょっとで行けるので、一度横浜へ行って久し振りの個人レッスンを受けたことがある。(保土ヶ谷のHANDSゴルフ)
しかしその後、Sプロは浜松へ転居してしまったため、もう15年近くお会いすることはなかったが、時々メールで連絡は取りあっていた。
Sプロは浜松でレッスンを行ないながら、生徒を集めたコンペをほぼ毎月実施していたが、流石に浜松は遠いので行ったことはなかった。しかしこの度、2025年3月、初めてSプロに会いに浜松まで行ってきた。
いざ浜松へ
行ったのは2025年3月19日~21日の3日間である。3月20日の春分の日にSプロコンペがあるので、それに合わせて前日に行き、到着した19日は久し振りの個人レッスンを受け、20日にコンペに参加、21日は浜松観光をした後戻ってくるという計画である。
愛車ホンダ・アコードで行ったが、成田から浜松までは350kmほどあり、気合を入れて運転していったのである。

我が愛車アコード
往路は運悪く、東名高速の川崎~東京間が事故で通行止めとなっており、また、湾岸道路千葉区間も結構な渋滞となっていたため、久し振りに抜け道として京葉道路経由アクアラインを通って湾岸道路から横浜経由保土ヶ谷バイパスで東名高速へ行くルートをとった。途中の海ほたるPAや横浜ベイブリッジなど、何だかとても懐かしく見ながらの運転である。東名では、御殿場から浜松までは初めて新東名を走ったが、道幅も広く制限速度120kmであるので、実に速く快適に運転でき、昼過ぎには浜松に到着できた。

アクアライン海ほたるPAの下よりトンネルに入る
Sプロとの再会とレッスン
さてSプロとは「和合ゴルフクラブ」という練習場での待ち合わせで、ロビーでSプロに久し振りにお会いできた。
Sプロも昔とちっとも変わっておらず、とても懐かしく、お互いに再会を喜び合ったのである。

和合ゴルフクラブ
さて感動の再会の後は、早速レッスンに入る。
久し振りのレッスンで緊張しながら打ってゆくが、Sプロのご指摘は以下のようなものであった。
- (1) アウトサイドインになっているので、インサイドよりクラブを入れてアウトサイドに向けて振りぬくことを強く意識する。
- (2) テークバックで体が伸びあがりダウンスイングで下がるというように体の上下動が大きいので、頭の位置を変えないように。
- (3) インパクトでは右肩が下がりダフっているので、地面と平行にスイングするように意識すること。
- (4) 手を使いすぎる。脱力して腰を回し、手は遅れてついてくるように。
全く的確なご指摘である。
(1)は自分でも意識して練習しているが、まだ完全には出来ておらず、力むとアウトサイドインになっている。
(2)(3)は、ラウンドしている時の同行者にも良く言われていることである。
(4)は、時々思い出して練習しているが、なかなか脱力できず、最近は手打ちと割り切って手を思い切り速く振りボールを思い切り叩く打ち方をしている。
明日のラウンドでは特に(1)~(3)を意識して臨むこととした。
当日の夜は、Sプロお勧めの店で久し振りにSプロと会食をし、昔話に花を咲かせ、有意義な1日であった。

Sプロと行ったお店
Sプロ主催コンペへの参加
2日目はいよいよSプロ主催のコンペである。場所は「ザ・フォレストCC」というアップダウンのある山岳コースである。
当日は4組16人が集まり、私はSプロと同じ最初の組で回ることとなった。まずスタート前のミーティングで皆さんにご挨拶をし、いよいよラウンドスタートである。

ザ・フォレストCC
Sプロのドライバーショットは相変わらず迫力あり、低めに飛び出て途中からホップする球筋はとても格好良かった。聞いたら体で打ち、手は全く意識していないとのことであり、手打ちと割り切り手で思い切りぶっ叩く私のスイングとは全然違うものであった。
私の朝一ショットは皆さんに見られて緊張しまくっていたため、トップ気味に左のラフへ行ってしまった。
そんな感じでラウンドがスタートしたのである。
しかし残念ながら朝一のショットが本日の私の調子を示していたのである。
ドライバーは皆トップ気味のスライス玉、アイアンやウッドに至ってはとんでもない大ダフリの連発、アプローチも距離感が全く合わず寄らない、という三重苦であり、結局終日そんな感じで終わってしまった。
ここまで不調なのは久し振りであり、ガックシであった。
結果、前半57、後半50、計107も叩いてしまったのである。涙である。
この難しいコースでSプロは77と、流石はプロという結果であった。途中途中でショットをみさせていただいたが、ほとんど力みというのがなくスムースなスイングであり、格好いいものであった。
私もそうありたいと思い、今後とも鍛錬してゆく所存である。
この日のラウンドを無事に終わらせ、Sプロとはここでお別れとなった。久し振りにお会いできたSプロ、また機会を見て大叩きのリベンジも兼ねて浜松へ行ってみようと思うのである。
浜松観光
さて3日目は成田へ戻るのであるが、せっかく浜松まで来たので少し観光することとした。
浜名湖は新幹線より何度も見ているので(?!)、浜松城をまず見に行った。
浜松城は市街中心部より近く、3階建ての小さな天守閣であるが、若き日の徳川家康が1570年に改装して入った城である。中に入ることもでき、天守閣の屋上からは四方から浜松市街を眺めることが出来た。

浜松城天守閣
また、そこから少し車を走らせると、やはり若き日の徳川家康が武田信玄と戦って大敗した三方ヶ原古戦場跡があるのでそこも見に行ってきた。ここは墓地の広い敷地の隅にありカーナビにも出てこない場所であるが、GoogleMapにはのっていたので、それを頼りに探して行ってみたのである。

三方ヶ原古戦場跡
本日はそこまで見て、成田へ戻ることとした。
途中、新東名の清水付近を通ったら、雪をかぶった富士山がくっきり見えて感動した。いつも富士山を見るのは御殿場の手前および付近からであるので、清水から見る富士山は新鮮であり、感動してしまった。

新東名上り 新清水IC付近より見た富士山

富士山のアップ
夕方、成田の家に着いた時はクタクタに疲れていたが、途中都内を抜ける時に渋滞がほとんどなかったのはラッキーだった。
次回は恥ずかしくないラウンドが出来るよう、もっと腕を磨いて、またSプロに会いに浜松へ行ってみたいと思う。
(2025年4月20日)