戦艦三笠(神奈川)

〈2012年7月29日〉

戦艦三笠とは、1905年の日本海海戦で東郷平八郎司令長官の指揮のもと、当時世界最強と言われたロシアのバルチック艦隊を打ち破った時の連合艦隊の旗艦です。それが現在では記念艦として横須賀に残されているので、見に行ってきました。


「公益財団法人 三笠保存会」のHPによると、戦艦三笠は1902年(明治35年)に竣工した後、連合艦隊に編入され旗艦となります。そして1905年の日本海海戦においてロシアのバルチック艦隊を打ち破り、アジアとして初めて欧米列強に勝利しました。
その後、1922年(大正11年)にワシントン海軍軍縮条約が締結され日・米・英・仏・伊の主力艦保有数を制限することになったので、戦艦三笠はその時点で廃艦となり、以降、横須賀において記念艦として保存されることとなりました。
太平洋戦争後は一時荒廃しましたが、1961年(昭和36年)に復元され、現在に至っています。
尚、記念艦として停泊している戦艦三笠の艦首は皇居を向いているとのことです。
これも天皇陛下に最大限の敬意を払っているということで、ちょっと感動ものです。


さて到着してみると、戦艦三笠は非常に大きく、その前には東郷平八郎の銅像も建っています。
銅像の脇には日本海海戦時に先任参謀の秋山真之中佐が発した有名な「皇国興廃在此一戦(皇国の興廃この一戦に在り)」のせりふが書かれた碑もあります。

戦艦三笠

東郷平八郎の銅像と「皇国興廃在此一戦」と書かれた碑

入場料を支払って中に入ってみます。
まずは甲板に登ってみます。この正面が皇居の方を向いているとのことです。

甲板の先頭部 この正面が皇居の方を向いているそうです

前方には口径30cmもある主砲があります。近くで見ると非常に迫力があります。日本海海戦の時にはここから何発も砲弾を打ってバルチック艦隊を打ち破ったのかと思うと、感慨深いものがあります。

30cm主砲と操舵室

近くで見る主砲は大迫力

甲板で主砲を見て感動した後は操舵室に行ってみます。意外と窓が小さいことに驚きます。海戦時にはここで「おもかじいっぱーい」などと叫んでいたのでしょう。

操舵室

また、甲板の上には「機雷」が置いてありました。機雷とは「機械水雷」の略であることが、説明書きにより初めて知ることが出来ました。見た感じは意外と大きかったのが印象的でした。

機雷

さて甲板上部より一段下がった所にある上甲板中部の両舷にはそれぞれ4門の8cm砲が展示されています。これも直接触ることが出来るので迫力があります。

上甲板中部の両舷に並ぶ8cm砲

ここまで甲板など外部を見てきたので、続いて船内に入ってみます
船内には狭い通路や各士官室などの部屋、広めの展示室などがあり、ゆっくり見ることが出来ます。

船内を通る通路

目に入るのは、戦艦三笠の小型模型です。これは昭和36年の戦艦三笠の復元時に一般企業より寄贈されたもののようです。ちなみに三笠の模型は、別の広い展示室の中にもあります。

戦艦三笠の小型模型

もう1つ感動するのは、15cm副砲への砲弾装填時の蝋人形があることです。往時の必死での戦いの状況がよく分かるものですが、砲弾というのは1つ1つ人間が手で込めていたのですね。

15cm副砲への砲弾装填時の蝋人形

その先を進むと広い展示室に出ます。そこにも戦艦三笠の大きな模型が置かれています。

船内の展示室

ここでの見ものは、①菊の御紋の三笠の艦首飾り ②統合司令長官が使った双眼鏡 ③日本海海戦直前の状況を書いた絵画 ④戦艦三笠の模型 です。1つ1つ見ると歴史を感じられ感動すること必至です。

更に進むと、司令長官室があります。ここで東郷司令長官が執務を行ったということです。

司令長官室

また、当時の軍服や音楽隊の使った楽器なども展示されておりました。

当時の軍服や音楽隊の使った楽器

さて艦内を見た後、また甲板に出ます。そうすると戦艦三笠のこれまでの戦績を示したボードと、主砲で使われた30cm砲弾が展示されていました。戦績は旅順での戦いが多くありましたが、やはりメインの日本海海戦の記述には感動です。

これまでの戦歴を示したボードと30cm主砲の砲弾

以上、戦艦三笠は日本の誇る名軍艦であり、このように綺麗に復元されて残されていることは喜ばしいことです。
尚、昭和天皇、皇后両陛下と現在の上皇、上皇后両陛下、秋篠宮皇嗣殿下も過去にご視察されています。
戦艦三笠が横須賀に記念艦として残っていることはあまり知られていないと思いますので、もし機会がありましたら一度見に行かれたら良いと思います。

(2024年7月6日)