佐倉の武家屋敷(千葉)

〈2007年9月9日〉

千葉県佐倉市の武家屋敷は結構有名です。と言っても3軒ほどしか残っていないそうですが,もともとは城下町佐倉藩の武家屋敷が集まっていたエリアに残っています。現在は周辺はすっかり住宅街になっていますが,これまで見たことがなかったので,このたび行ってみました。
場所はJR佐倉駅と京成佐倉駅の中間あたりで,佐倉中学校の近くになります。

ここにあるのは,旧河原家住宅(千葉県指定有形文化財),旧但馬家住宅(佐倉市指定有形文化財)と旧武居家住宅の3軒で,建築年月は旧但馬家住宅が1821~1837年の間,他の2軒は不明ですが,恐らくほぼ同時期に建築されたと思います

武家屋敷の配置図

さて暑い中,車で行ってみましたが,まさしく住宅街のど真ん中です。古い住宅街だからでしょうか,非常に細い道を走った奥に位置しますので,途中曲がり角などでは車を電柱や塀にこすらないか,心配になったくらいです。それでも何とかたどりつき,指定駐車場(無料)に車を止めて歩きます。見ると細い路地に3軒仲良く並んでいますので,まず向かって一番右端の旧河原家住宅で入場券を買って見歩きます。

武家屋敷の通り


まず見たのが旧河原家住宅です。この持ち主の河原家がここへ移ってきたのは天保6年(1835年)12月だそうですので,その後にこの住宅が建築されたと思われます。この住宅は佐倉に残されている武家屋敷の中では最も古いものです。現在の住宅は古文書などを参考に再現されたものです。

旧河原家住宅の入口

旧河原家住宅

この旧河原家住宅は家の中には入れませんが,外から家の中の旧式の調度品などを見ることが出来ます。敷地はかなり広く,家の裏側には井戸もあります。

尚,ここにはボランティアのガイドさんが2名ほどおりましたので,必要な方はお願いするのがいいかもしれません。

しばらく周囲をぐるりと見て,次に移ります。

 


お次は隣の旧但馬家住宅を見ました。この住居は文献によると文政4年(1821年)から天保8年(1837年)の間に建てられたようです。ここは家の中に入れるので入ってみます。

旧但馬家住宅の入口

旧但馬家住宅

中は広く,恐らく3軒の中でも最も広い住宅と思われました。
それより何より驚いたのは,何と中には昔の鎧(よろい)があったことです!
大人用と子供用と2式あり,居間に飾ってありました。

これは実際にも使われたのでしょうか。見た目にも非常に重そうで,昔の人はこういうのを来て戦ったのですね。大変だったと思いますが,身を守るためには必須だったのでしょう。


最後に見たのは旧武居家住宅です。これは当時の百石未満の小藩士が住む小住宅の規定と一致した大きさだそうなので,下級藩士の家であったと思われます。家は確かに小さく,間取りを見ると玄関,土間,台所,湯殿の他は,8畳と6畳の部屋があるだけでした。

旧武居家住宅の入口

旧武居家住宅

入ってすぐに玄関がありますが,その奥の座敷には,武士の絵が大きく飾ってありました。(写真かも知れません)

この家は小さい家らしく,家の裏には他の住宅のように井戸や菜園がありませんでした。
しかしそれでも現代の住宅に比べたら,裏手と言えど敷地の余裕はずいぶんあるように感じましたが・・・。

 


さて3軒の武家屋敷も見たので帰ります。
先ほどの駐車場に戻ってきた時に,竹で出来た塀に朝顔が咲いているのに気付きました。来る時には気付かなかったのですが,昼間でも朝顔は咲くのですね。綺麗なのでここでも写真撮影。

朝顔

いやいや,それにしても,今日も暑い一日でした。今年の暑さは異常です。

(2007年10月3日)