衝撃! 羽根物はすごい

パチンコの釘の読み方は、本を2~3冊買ってきて勉強し実際に実戦で試してみたら、大体半年もすればコツが分かってきた。
しかし残念ながら、だからと言って連戦連勝とならないのがパチンコの難しいところであり、つらいところである。相変わらず勝ったり負けたりを繰り返し、結局トータルすれば結構な金額、負けていたことと思う。
それは学生時代のみならず会社に入ってからも続いていた。

ある日のこと(確か入社すぐの昭和56年=1981年)、休日にいつものように会社の同じ寮の連中と、近くの京成電鉄沿線の駅へ行き、パチンコをしていた。その日もいつも通りに「普通の台」を打とうとしたら、何やらゼロ戦みたいなのが真ん中に付いている変な形の台を発見した。面白そうなので打ってみる。

その当時のパチンコの常識は「天穴」、つまり一番真ん中の上の穴に玉がスポッと入ると、多くのチューリップが開き玉がたくさん出る仕組みになっていたが、なぜかその台は天穴に入っても、チ~ン、ジャラジャラと1回だけ懸賞玉が出るだけなのだ。
確かに良く見ると、あるべきチューリップがその台には付いていない。それで、左右下にある「落とし」チャッカーに入ると、ウオ~~ン! と唸って真ん中のゼロ戦の左右にある羽根がバッ!と一瞬だけ開くのだ。そこにうまい具合に玉が入っても、懸賞玉は1回分しか出てこない。「な~んだ、この台、面白くも何ともないじゃぁ ないか」と思いつつ様子見でしばらく打っていた。

と、その時である!
また落としに入って左右の羽根がウオ~ンと開いた時にたまたま入った玉が、何やら役物の真ん中にある「V」と書かれた穴に入った瞬間、突然台が大きな音で「ウオン、ウオン、ウオ~ン!」と唸るではないか!

あれれ? どうしたんだ?? と思っている間に、驚くことに左右の羽根が「バッ、バッ!」と何度も開閉を繰り返すではないか! もちろん、その間に打っている玉は羽根の中にボロボロと入り、下からは懸賞玉がボロボロと出てくるのだ!

しばらく訳の分からないうちに玉はボロボロと出てきて、あっと言う間にたくさん貯まってしまったのである。それがまたしばらくすると、同じように真ん中のVに入って、チンジャラ、チンジャラとたくさん出てくる。
それを数回繰り返しているうちに、あっと言う間に打ち止めの4000発が出てしまったのだ!

すごい! すご過ぎる!!

そう、これこそが当時デビューしたばかりの衝撃の新台「羽根物」であったのだ。

従来は打ち止めにするには、釘のいい台をじっくり選んで、半日、少なくとも4時間くらいは粘りまくってようやく打ち止めになるのが常識であったのだが、この羽根物はうまくVゾーンに入ってくれれば、わずか1~2時間で打ち止めまで一気に玉が出るのである。

いやいや、ものすごい台が出てきたものである。それ以来、私はもう、すっかり羽根物のトリコになり、しばらくは羽根物ばかりを打つようになってしまった。あの当時では羽根物の代表台は「ゼロタイガー」「ビックシューター」であり、これらは未だに「名機」として語り継がれているが、本当に良く打っていた懐かしの台である。

 

その羽根物もいまやデジパチ(777のように数字や絵柄が3つ揃うと大当たりとなって一気に6000円前後相当の玉が出る台)の影にひっそりと「平台」と呼ばれ細々と残っているだけであるが、本当にその当時は実に画期的な台なのであった。
私はその頃はギャンブル性の高いデジパチには見向きもせず、ひたすら羽根物ばかりを打っていた。それはデジパチに魅せられた平成2年(1990年)の暮れまで、約10年も羽根物を楽しんだのである。
今から思うと、実に懐かしく平和で楽しい日々であったのだ。

(2005年12月3日)

(2024年5月18日追記)
今では玉の交換レートは貸玉と同額の4円が多いが、当時は貸玉4円、交換2.5円が主流であったので、打ち止め4、000発をすると1万円の収入となった。そのため一気に打ち止めとなる可能性のある羽根物の出現は衝撃的であった。