浅草(東京)

〈2006年8月20日〉

今年(2006年)の夏休みは11連休と、とても長かったのですが、その最終日に浅草へ1人で行ってきました
浅草と言えば東京の下町の代表的な場所であまりにも有名ですが、実は私はほとんど行ったことがなく、子供が小さい時に花やしきに一度行っただけで、有名な雷門とかまだ見たことがありませんでした。そこでふと思い立ってカメラを持って行ってみる事にしたのです。遅くなると混雑すると思い、朝早く出発し9時には雷門前に到着しました。地下の市営駐車場に車を止めていざ探検開始です。

◆雷 門◆

駐車場を出ると、目の前はすぐ雷門です。見た瞬間、「おお! これが有名な雷門かぁ!」と感動。周囲を見るとまだ朝が早いせいか人通りはちょっぴり少なめで思ったほど混雑していないので一安心。信号前の歩道の上から何枚か写真撮影をしましたが、山門の中心にある赤い提灯は非常に大きく、初めて見るとやっぱり感動します。奥の人たちが記念撮影しているあたりも、いかにも観光地という感じでした。

雷門全景

雷門とは最初は浅草寺の総門として942年に作られたそうですが、数度の火災による消失がありその都度、作り直されています。
何度目かで1635年に徳川家光によって建てられた門は右に風神、左に雷神を配置していたので、正式名称「風雷神門」、略称「雷門」と呼ばれ、これが現在の雷門の語源となっているとのことです。しかしそれも1865年に火災で消失して以来、95年に渡り再建されなかったので、その間は幻の存在と言われていましたが、昭和35年(1960年)に松下幸之助の手により再建され、現在の雷門となっています。

雷門の赤提灯

赤い提灯には正面には「雷門」と書かれていますが、裏には正式名称の「風雷神門」と書かれてます。これは意外と知られていない事実かもしれません。

雷門の裏側には風雷神門と書かれています

◆仲見世◆

さて雷門を抜けるとそこは仲見世通りです。仲見世は両側に小奇麗な商店がたくさん並んでいるアーケード街ですが人がたくさんいました。良く見ると周囲では中国語や韓国語がたくさん聞こえてきますし、西洋人の方もたくさんいます。

仲見世の賑わい

仲見世通りと途中でクロスする伝法院通りは車両通行止めですが、「下馬」と書かれた看板が立っており風情がありました。

下馬の看板のある伝法院通り

◆浅草寺◆

さて仲見世をぶらぶら歩いて先に進むと浅草寺(せんそうじ)の境内があります。「あさくさでら」と書いて「せんそうじ」と読みますが、これが子供の頃は不思議でした。入ってすぐに宝蔵門があるはずですが、残念ながら現在は改修中で見ることが出来ませんでした。しかしその手前には懐かしの露天が立ち並んでおり、いかにも古いお寺の観光地という感じを受けます。
そこを抜けると正面に大きな本堂が見えてきます。

浅草寺

この本堂、なかなか立派なものです。正面にはやはり大きな赤い提灯があり「志ん橋」と書かれています。写真を撮った後、一応拝みます。手前には線香を上げる台もあり、外人さんがそこで拝んでいたりしました。向かって左側にはお札やお守りを売る場所が並んでいます。この本堂の後ろに回ってみると人が少なく、日陰になっているせいか、とても涼しかったので、そこで小休憩しました。

そこから今度は左(西方向)に進んでみます。その先には赤い壁面が綺麗な影向堂(ようごうどう)がありますが、その手前に小さな橋が架かっており、そこから下を見ると見事な鯉がたくさん泳いでいました。ここでもまたちょっぴり感動です。

さて影向堂より南方向を見ると、見事な五重塔がそびえ立っています。近くに行って正面より見るのも美しいですが、影向堂前より林をすかして見る五重塔もなかなか風情があっていいな、と思わされます。手前には、やはり昔懐かしの露天があり、お面など子供向け玩具をたくさん売っていました。こういうのは最近、お祭りなどいかないので滅多に見ることがなかっただけに、何となく嬉しくなってしまいました。

正面より見た五重塔

また、影向堂と五重塔の間には、何だか小さな祠(ほこら)がたくさんありました。見ると「子育地蔵尊」や「出世地蔵尊」、「めぐみ地蔵尊」など7~8つはあるでしょうか。その1つ1つの前に小さなお賽銭入れがあるのがご愛嬌です。

小さな祠

更に五重塔前を西方向へ進むと、そこには奥山門というのがあり、そこには提灯1つ1つに「奥・山・お・ま・い・り・ま・ち」と書いてあるのがいい雰囲気です。

奥山門

ではこのあたりでUターンし、今度は浅草寺境内の東方向へ歩いてみます。
浅草寺本堂前をまた通り過ぎて、ほどなく左手にあるのが浅草神社です。何だかここにはお寺と神社が入り乱れており、こんなことでいいのか、とも思ったりしましたが、あまり気にしないことにします。
それにしても今日は朝から本当に暑い! 汗ふきタオルを持参しましたが、ずっと汗をぬぐってばかりいました。写真趣味でなければ、こんな暑い日に浅草を歩こうとは思わなかったことでしょう。

浅草神社

浅草神社前を通り過ぎると、浅草寺境内の東端に出ます。そこには浅草寺の東門であり国の重要文化財である二天門があります。約400年前の1618年、二代将軍の徳川秀忠が父親の徳川家康を祀るために、日光と浅草に東照宮を作りましたが、その浅草東照宮の随身門として作られたものです。(浅草にも東照宮があるとは知りませんでした!)
この二天門は火事の多かった江戸時代、関東大震災の火災、第二次世界大戦での空襲など全てを潜り抜けて奇跡的に当時のまま現存しているものだそうで、見ると確かに非常に古い感じがします。
ではこれで浅草寺境内は一通り見て歩いたので、今度はまた西の方に歩いて行き、外に出てみます。

二天門

◆花やしき◆

さて浅草寺の西の門を出ると、そこは花やしき通りで、有名な遊園地である花やしきがあります。この花やしきにはまだ小さかった長女を連れて来て以来ですので、来るのは10年ぶり位でしょうか。民家のすぐ近くを走るジェットコースターが、やたらと怖かったのを覚えています。ほどなく花やしきの入り口が見えてきましたが、ここは恐らく裏口なのでしょう。
正門はもうちょっと奥にあります。また、この通りにあったお店には2階に「浅草花やしき」と書かれた看板があったりして、何となくいい感じでした。

花やしき

少し先に進むと花やしきの正門が見えてきます。ここは花やしき通りの西側に当り、すぐ近くにはひさご通りの立派なアーケード入り口の看板がありました。
そのひさご通りと花やしき通りの間の通りを何気なくのぞくと、そこには何と「富士ドレス」という大きな看板があり、チャイナドレスなども売っているようです。ドレス・・・、とはまた何とも古めかしい言い方でしょうか。きっと昭和初期にはこういうドレスが大ハヤリし、多くの女性が買い求めダンスなどに行ったのではないか、と想像出来ます。

◆浅草六区◆

さてお次は、これまた有名な浅草六区に入っていきます。浅草は昔は七区に分かれていたようで、六区とはそのうち観劇、映画館などが多く集まったエリアで、明治・大正・昭和にかけて賑わった娯楽街であり、今でもその面影を残しています。本日はここを見るのも楽しみでした。
入ってすぐ、浅草新劇場、浅草世界館といった映画館が建っており、通りの先を見ると映画館などが多く立ち並んでいます。いかにも昔は相当賑わっていたんだろうな、という雰囲気でした。

浅草六区の賑い

しかし興ざめなのは、入り口左側に競馬の場外馬券場があることでしょうか。なんだか競馬新聞を持ち昼間からお酒を飲んでいる人たちが多くタムロしており、せっかくの雰囲気をブチ壊していました。別に競馬が悪いとは言いませんが、このような場所に作らなくても・・・と思ってしまいました。

気を取り直して先に進むと、左右にとても古い感じですが派手な看板があります。右にあったのは「ROCKZA」と書いてありロック座と読めますが、良く見るとパチスロ屋のようです。左には浅草ボウルがありました。いずれも中には入りませんでしたが、ラスベガスを思わせるような派手な電飾が印象的で、夜は綺麗だろうなと思いました。

もっと先にすすむと今度は演劇場が多くあります。
今でこそ綺麗な建物になっていますが、昔の情緒を残したいい感じの演劇場であり、浅草らしさを感じ取ることが出来ます。
この東洋館は前身は浅草フランス座と言い、ビートたけしや渥美清、コント55号を輩出した名門です。

ビートたけし、渥美清、コント55号を輩出した東洋館

東洋館と同じ建物には、浅草演芸ホールがあり、正面の「大入」の文字が今では新鮮に感じられました。
ここはもともとは芝居小屋の1つで東洋劇場といいましたが、映画館に転向するのではなく、浅草の唯一の寄席として残っているのです。今では毎日、落語、漫才、マジックなど、楽しい見世物が盛りだくさんなようで、ちょっと立ち寄って中に入ってみれば良かったなあ、と後から後悔しました。

浅草演芸ホール

ここで六区もほぼ終わりなので、ちょっとわき道に入ってみました。
するとほどなくスナックがありましたが、そこは看板代わりに赤提灯に「居」「酒」「屋」と書かれているので笑ってしまいました。面白いから写真を撮りたかったのですがスナックの名前も入ってしまうのでどうしたもんか、と迷っていたら、ちょうど店の中からマスターと思われる年配の男性が出てきたので、思い切って「これ、写真撮っていいですか~?」と聞いたら、非常にキサクに「いいとも! 好きなだけ撮っていきな」と言ってくれました。ちょっぴり嬉しく思いながら撮影してきました。

面白いスナックの提灯

◆伝法院通り◆

今度は六区と浅草寺の間にある伝法院通りに入っていきます。ここは入ってすぐに木造の小奇麗な店が立ち並び、通りには人力車もいました。この人力車、シンガポール流に言うとトライショーですが、多くの観光客が利用しています。乗るのはちょっぴり恥ずかしい感じがしますが、実際に乗ってみるとなかなか楽しい乗り物です。本日は1人なので流石に乗るのは恥ずかしく見ているだけでした。

伝法院通り

人力車

この伝法院通りを少し奥に進むと左側に長屋形式で色々なお店が並んでいます。服屋や靴屋などで古い商店街がそのまま移って来た感じでした。また、ふと見上げると、通りのところどころに建っている支柱に花飾りが付いていたりしましたが、そこにぶら下がっている白い提灯に「伝」という字が鳥を並べて書いているのが笑えました。

伝法院通りの商店

伝法院通りの途中には、浅草公会堂があります。そこの裏のシャッターには、何とカラフルな浮世絵が書いてあります!
いやー、いかにも浅草らしいなあ、と思いつつ記念写真をパチリです。また、公会堂の正面の歩道には、多くの有名人の手形が埋め込まれていました

手形。これは「てんやわんや」のもの

今度は伝法院通りより公会堂の前を抜け、雷門通りの方に向かって歩きます。

◆雷門通り◆

雷門通りは、その名の通り雷門の前を走る大通りで、その北側はアーケード式で商店が多く並んでいます。
そこをブラブラと歩きます。人通りは意外と多くなく、さほど混んでいるわけではありません。途中にはおいしそうなお寿司屋さんや天ぷら屋さんがありました。
少し歩いた所で、建物の横に大きな絵が書かれており、見ると北島三郎や浅草ジンタと書かれていました。

雷門通り

またその先、左側の店の前には、とても古い自転車とサイドカーが提灯付きで置いてありました。見るとどうやらパレードなどで使うようです。黒い塗装の下から錆が出てきており、本当に古いもののようでした。
また、雷門の近くに来ると、通りの向かいの浅草ROX前には黄色い提灯がたくさんかかっていました。どうやら浅草カーニバルが来週あるので、その為にかけられていたようです。この浅草カーニバル、とても有名で一度は見てみたいと思っていますが、ちょうど私が浅草を訪問した翌週に開催されていました。

◆浅草文化観光センターのからくり時計◆

さて雷門通りを歩くと、ほどなく元の雷門の前に出てきます。そこから雷門の向かい側には、浅草文化観光センターがありますが、その正面にあるからくり時計はちょっと凝った作りになっています。調べたら、以前、故郷創生で全国の全ての自治体に1億円が国から支給されたことがありましたが、その1億円で作られたとのことです。何とも豪華な時計で、毎時0分には音とともに人形が動くそうです。

浅草文化観光センターのからくり時計


これで雷門前を出発してちょうど浅草主要部を一周してきました。時間としてはゆっくり歩いて3時間もかかっていませんが、初めて歩いた浅草、とてもいい印象を受けました。浅草文化観光センター前より見た混雑している雷門は相変わらず混雑していました。
この浅草、今度また来て、お寺など本日見れなかったところを見て歩きたいと思います。

(2006年10月1日)