お父さんはパチプロ

あれは長女がまだ2~3才の頃なので、1990年代初頭(平成になった頃)であったと思う。
その日は奥さんが長女を連れて同じ千葉県内の実家に帰り戻りは少し遅くなるかも、と言っていたので、私は会社が終わった後、いつもの「パールショップともえ 多古店」に来てパチンコを打っていた。

パールショップともえ 多古店

打っていた台は、当時まだ全盛だった連チャン機の「フィーバーレジェンド」である。
この日は良く出てくれ、ドル箱を積み上げながら気分良く打っていた。

連チャン機のフィーバーレジェンド

そうしたら後ろから、「あ、いたいた~」「お父さーん」という聞き覚えのある声がするではないか。
え? と思い振り返ってみると、そこには奥さんと娘が満面の笑みを浮かべて立っていたのである!

驚いて「どうしてここへいるの?」と聞いたら、ちょうど奥さんと娘が車で実家から戻る途中で「パールショップともえ」の前を通る時、「もしかしたらお父さんがここにいるかもしれないね」と話して中に入って来てみたら、本当に私がいたということであった。そうなのだ、この店は我が家から奥さんの実家に行く途中の国道沿いにある店なのだ。
いやいや、完全に行動を読まれていたわけですな。

しかもその日は調子が良かったので足元にはドル箱を5~6箱は積んでおり、尚且つちょうど大当り中で、玉がチンジャラチンジャラと勢いよく出ている時だったので、初めて見るパチンコということもあり娘は大喜び。

「お父さん、すご~~い!」と、ぴょんぴょん飛び跳ねながら喜んで祝ってくれたのである。

しかも! 大当たりが終わった後、娘の見ている前でまた大当たりしてしまった。いわゆる連チャンである。
もう玉は止まらず出っぱなしになるので、娘は興奮してますます大喜び。
こうして大勝利を収めた後、一緒に気分良く家に戻ったのであった。


問題は翌朝である。
私は当時、車通勤をしていたのでいつものように背広にネクタイ姿で車に乗り込み自宅を出発した。その時はいつも、奥さんと娘が外まで出てきて「いってらっしゃーい」と見送ってくれるのである。

ところがその日は違った。
娘は大きな声で「お父さん、今日もパチンコたくさん出してきてね!」と言うではないか!
「ん?何だ?」と一瞬考えたが、すぐに理由は分かった。

そうなのだ。昨夜は会社帰りなので背広姿でパチンコ店にいる所を娘に見られており、しかもジャンジャン出していたので、娘はパチンコを打つのが私の仕事であると思ったのであろう。つまり私の仕事はパチプロだと思ったようである。

それも可愛い誤解であるが、近所に聞こえるような大声で言うのだからたまらない。近所の方々には、私が本当にパチプロだと疑った方もいたかもしれない。とても恥ずかしいが、その後2週間位は毎朝「お父さん、パチンコ頑張ってきてね~」と言われ続けまいったことが、今となっては懐かしく思い出されるのである。

(2024年10月23日)