日本への一時帰国 2003

◆家族の帰国と単身赴任◆

イラク戦争が開戦したため日本への一時帰国をどうしようかと考えていましたが、時期を1週間ずらして帰国してきました。もちろん家族と一緒です。家族は1週間早く2003年3月29日(土)より、私は4月5日(土)より帰国し、シンガポールには一緒に4月13日(日)に戻る計画です。よって家族は2週間、私は1週間の帰国となります。

フライトはいつも通りJALを使う考えでしたが、イラク戦争を日本政府が公式支持表明したのでJALはテロの危険があると思い、急遽JALより安全なシンガポール航空(SQ)に変更しました。しかし予想外の問題が。。。
そう、SARS(新型肺炎)です。
中国、香港で蔓延したこのSARSはシンガポールでも蔓延しつつありましたが、出発直前になってシンガポール航空のスチュワーデスがSARSに感染した、との情報が入りました。こうなるとJALはテロの危険、シンガポール航空はSARSの危険、とどちらも危ないことになってしまいましたが、もうあれこれ考えても仕方ないと割り切り、予定通りシンガポール航空を使うこととしました。

シンガポール航空のジャンボジェット

まず3月29日の夜に家族をチャンギ空港まで送っていきます。ゲートで別れた時は何となく寂しい気持ちになりました。これから私が帰国するまでの1週間は久し振りの単身赴任です。最初は久し振りの単身赴任ということで羽を伸ばせる、と不埒な考えをしていましたが、いざ単身赴任になってみるとこれがまた非常に不便です!

まずは食事です。まず朝起きたときに自分でコーヒーをわかさなければなりませんし、パンを焼くのも自分です。これは朝の寝ぼけた時には結構厳しく、結局2日目からはパンを食べることはありませんでした。次にお昼は奥さんがお弁当を作ってくれていましたが、これもありませんので会社の食堂に行くことになります。しかしうちの会社の食堂はローカル料理なのでおいしくない。。。夜は大丸のお弁当がいいのですが、この時期は大丸売却で明治屋に変わる準備でちょうど改装工事・閉店なのでお弁当を買うことが出来ず、面倒でもレストランで外食です。本当はお弁当を買って自宅でパソコンでも見ながらビールとともに食べるのが好きなのですが仕方ありません。

次に困ったのは洗濯。下着、ワイシャツなどマメに洗わないとこちらはカビてしまいそうなので、ほとんど毎晩洗濯し乾燥させていましたが、会社が終わって疲れた体でこれを行うのはチトきついものがありました。

でも一番つらかったのは、朝の見送りをしてくれる家族がいないことと、帰ってきて玄関を開けて「ただいま~」と言った時に電気が消えていて暗くて誰もいないことでしたね。奥さんはじめ家族のありがたみがしみじみ分かりました。

◆帰国◆

何とか1週間の単身赴任を終えて、次は4月5日(土)、私が帰国する番です。その前にSARS予防でマスクをした方がいい、と聞いていましたので、会社のクリーンルーム用のマスクを家族の分も含めて1パック調達(現場からこっそりもらいました(笑))しておきました。やはり夜便なので夜9時頃タクシーに乗ってチャンギ空港へ向かいます。

空港に着いて驚きました。
先週家族が帰った時はそうでもなかったのですが、本日は3人に1人はマスクをして空港内を歩いています。シンガポールでは未だに街中ではほとんどの人がマスクをしていないのですが、流石に空港は危ないと思っているのでしょう。とても異常な光景でしたが、当然私もそこからマスクをかけました。もちろん機内でもマスク着用で、翌日日曜日の朝に無事に成田空港へ到着です。

成田に到着したらロビーに家族が迎えに来てくれていました。近くに住む奥さんの妹の車で来てくれていたのです。と言うのは我が家の車はシンガポールに引っ越してくる前に売り払っていたので、今回借りてきたのです。で、行き先は空港から10分の我が家、と言いたいところですが、これまた人に貸してはいませんが家具は全て倉庫の納めているので家の中はがらんどうですのでとても生活出来る状況になく、40分ばかり先に奥さんの実家へ行くこととなりました。家族も1週間前よりそこへお世話になっていました。

◆ひたち海浜公園へ◆

その日は疲れていたので、奥さんの実家で両親や親戚と再会を懐かしんだ後は、お昼寝をしたかったのですが、何と奥さんの妹夫婦と子供も来ていることだし、皆で遊びに行こう、と決まっていました。それが近くならいいのですが、茨城県の「ひたち海浜公園」と言うではないか。そこまで車で一般道で1時間半はかかります。やれやれ、、、という思いで行くこととしました。

車2台に分乗し、こちらの車は奥さんの妹の旦那さんに運転してもらい、私は道中ほとんど寝ていました。
ようやく「ひたち海浜公園」に到着します。ここは入り口を入ってすぐのところに大きな観覧車がある綺麗な公園です。でも、天気は非常にいいのですがまだ風が冷たく、非常に寒い思いをし、まいりました。う~ん、日本はまだ完全には暖かくないようです。風邪がびゅーびゅー吹く中を歩いていき、まずは広~い芝生のところでお昼ご飯を皆で食べました。私と妹の旦那さんは昼間からビールを飲みます。子供たちは元気なもので、芝生の上でボール遊びをしていました。

ひたち海浜公園の入場口と観覧車

そのあとはぶらぶらと園内を歩きます。ここは以前にも来たことがありますが、実に色々な乗り物やアトラクションがあり、家族連れには1日楽しめるいい公園です。前に来たときは大きなサイクリングコースを走ったり観覧車に乗ったりしましたが、今回は子供たちのリクエストでまずジェットコースターに乗ります。ジェットコースターを久し振りに見ましたが、相変わらず迫力ありますね。私はあの最初にごっとんごっとん、と登るときの気持ちがイヤなのと下る時がものすごく怖いので乗りませんでした。

登るときは本当にイヤな気持ち

次は娘のリクエストで、ぶんぶん上下しながら回る飛行機に私と2人で乗ることとしました。これは見ている限りは全然怖そうでないので気軽に「じゃあ一緒に乗ろう」と答えてしまったのですが。。。
いざ乗って動き出したら、ものすご~く怖かったです!
見た目以上に速いスピードで回転するので外側への遠心力が強く、更に回りながら上下に動くので、特に上に上がるときは空に放り投げだされそうで、とても怖かったです。情けないですが「わ~わ~~」と大声を出しっぱなしでした。
もうこんなの二度と乗るものか。。。奥さんたちは見ていて大笑いしていたそうです。恥ずかしい。。。

実はこんなのが怖かった

その後は子供たちを中心に遊ばせて帰ってきましたが、本当にこの公園はなかなか楽しめる公園です。関東地区に住まれている方にはお勧めのポイントです。

◆休暇を過ごす◆

翌日の月曜日は一応お仕事です。もとの会社を回り挨拶をしたりしてきました。
夜はシンガポールで一緒に仕事をした仲間で先に帰国済のメンバーのうち3人が集まってくれ、八重洲で久し振りに再会しお酒を飲んできました。その時の会話は面白いものがありました。
相手「streamさん、相変わらず土人のように黒いねえ。」
私 「xxさん、日本に戻ったらウソのように白いねえ。気持ち悪いくらい。」
そうです。日本はこれまで冬だったので焼けているはずがないのです。私は相変わらずゴルフ焼けで真っ黒なので、ひときわ目立ったようです。ちょっと電車の中とか恥ずかしかったかな。。。

火曜日以降は奥さんの実家でのんびりとしていました。水曜日は午後から久し振りのパチンコです。わくわくしながら半日かけてやってきましたが、結果は残念ながら負け。う~ん、昔馴染んでいたCR海物語には裏切られたかな? それとゴルフの練習もしたくなって、奥さんのお父さんのゴルフクラブを借りて近くの練習場へ長男と一緒に行ったりもしていました。

週末は成田の家に泊まろうということとし、2泊してきました。しかし先に述べたように家具は皆、貸し倉庫にしまっていますので、あるのは借り物のテーブル1つとファンヒーターのみです。あとリビングのグランドピアノも大きいのでそのまま置いてありますが、流石にこれでは家の中がガランとしていて何となく寂しく、非常に広く見えました。でもテレビも何もないので、皆でじっと本を読んだりしているだけです。灰皿さえないので、缶コーヒーの空き缶を灰皿にしたりしていましたし、座っていても座布団もないので足が痛くなる。。。ちょっとたまらなかったですね、これは。

ガランとした我が家のリビング

◆花見◆

さてせっかく日本に来たので、桜を見に行こうか、ということで、成田の中台運動公園という所へ行ってきました。2年振りのお花見です。今週末はちょうど関東で桜が散る直前でしたのでいいタイミングでした。
行ってみたら、桜はまだ満開です。久し振りに見る桜、本当に綺麗でした。この情緒がシンガポールにはありませんので、やはり日本はいいなあ、と改めて感じた次第です。

成田/中台運動公園の桜

歩いている途中でまたハマリをやらかしました。
早く桜を見たいということで近道をしようと草むらのガケを20メートルくらいおりていったのですが、「滑って転ばないように」と家族に注意した私自身が滑って転んでしまいました。その時は右手にカメラ、左手に缶コーヒーを持っていたので手をついて支えるわけには行かず、ばんざいの格好で大きく尻餅をついてしまいました。家族は大笑いですが、ズボンのお尻に泥がついて1日取れませんでした。

花見の後は1つだけ心残りがあります。それはうちの長男のガールフレンドにまだ会えていないこと。長男はまだ小学4年生ですが、生意気にも小学1年の時より親しくしている女の子が近くに住んでいるのです。帰国して間もない時に奥さんと一緒に会いに行ったそうですがその時は相手が不在で会えなかったようです。しかし家に帰ってきたら、ちょうどその子がお母さんと一緒に家に来てくれたのです! 長男は大喜び、私も初めてみる長男のガールフレンドですので大喜び。2人のツーショットを撮影してあげたりして、最後にいい思い出が出来ました。

◆日本最後の夜のパチンコ勝負◆

さて楽しい休暇も最後の1日である土曜日が終わり、日本最後の夜はまた奥さんの実家に泊まりました。
そこで「日本最後の夜」ということで心残りがないよう、また奥さんの許しを得てパチンコに行きました。行ったのはこの間と同じ、旭市の国道沿いにある「パールショップともえ」です。先日負けていたので何とかそれを取り戻そうとしました。軍資金は日本円の残りの2万円のみ。今時のパチンコでこれでは心もとないのですが仕方ありません。夜8時に行きましたので、閉店の11時までは3時間しかなく、短時間勝負です。

何と言っても少ない軍資金、台は慎重に選びましたが、結局打つのは昔懐かしのCR海物語です。
これで7千円目で大当たりが一回きましたが確変ではなく単発。次に確変来い!と祈りますが残念ながら出球は飲まれて追加投資するも2回目は来ない。台を変えても同じでなかなか出ない。
そうこうしているうちに、所持金は残りわずか2千円しかなくなってしまい、時間ももう夜の10時です

このあたりで本日の負けを覚悟しながら見ていたら、朝から調子よく出ていたらしいけど、500回ハマってやめていた台を発見しました。経験的にこういう台は座って打つとすぐ大当たり、しかも確変が出てきておいしい思いが出来るもの。祈るような思いで残り2千円を投入する覚悟を決め座りました。台は京楽の「CR華王」という花札をモチーフにした台です。
最初の千円は当たりがきません。次の5百円(この店はカードでなくても現金でCR機が打てる)を入れ、その時点で財布には残り5百円しかないという、ほとんど背水の陣の所で、なにやら「華王チャンス」というスーパーリーチがかかりました。初めての台なので良くわからず見ていたら、そのまま大当たり。しかも確変!

うわ~、残金5百円で本当に確変がきたっ! これは嬉しい。

そこから残り閉店までの1時間、ボロボロと7回の大当たりを出して、帰る時には財布の中には4万円入っていました
最後の最後で逆転勝利を収めたので、本当に気分良く帰ることが出来ました。

◆シンガポールへ◆

さて楽しい休暇も終わり、日曜日は午前のフライトなので朝から成田空港へ向かいます。奥さんの両親と弟、妹夫婦と子供、総勢10人でも軍団です。空港でチェックインをすませたあとは少し時間があるので皆でレストラン一休み。その後は名残惜しいですがそのまま飛行機に乗り込みました。

機内では家族にもマスクを渡して全員でマスクをしてきました。見ると回りも半分くらいの人はマスクをしています。SARSも原因が分かりませんがマスクをしている限りは感染の可能性が低くなるので、不便ですが仕方ありません。

 

シンガポールには夕方6時に予定通り到着。
外に出た瞬間、やっぱりシンガポールは暑いなあ、と思いました。気温と湿度で本当に暑く感じ、ちょっと立っているだけで汗ばんできますが、これまた懐かしい感覚でした。いつも通りに機内での禁煙をこらえていたので、まずは外で一服して家に帰ることとしました。

早速困ったのは荷物が多いので1台のタクシーに乗れないことです。まあ2台に分かれてもいいのですが、そこで以前より乗ってみたかった「エアポートリムジン」に乗ってみることとしました。これは白いベンツの大きなミニバンなのでたくさんの荷物と4~5人くらいの人が乗ることが出来ます。空港内で予約すればすぐ来ますので便利な上に、料金もS$40(2800円)くらいなのでタクシー2台分ですみます。

何とか家に着いたらもう皆で疲れきってがっくり。流石に奥さんも夕食を作る元気はないので、外のイタリアンレストランで夕食を済ませ早目に寝ることとしました。
こうして楽しい休暇は終わりましたが、桜も見れたし本当にいい時期に帰れたと思います。

(2003年4月28日)